I'm so happy !

ただの俳優のオタク。

 

 

 あー書いたひとマザコンなんだろうな、と思う脚本がたまにある。最近だと、劇団た組。の脚本とか。あのひとは絶対マザコンだとおもう。子を育てること、ではなく、子を産むこと、にこだわっているのは、マザコンか堕胎経験者だけだとおもう。
 毛皮のマリーを観た。天使の三か月ぶりの舞台である。
 観て、あー寺山修司はマザコンなんだなーと思った。執着を愛と勘違いしている人間はマザコンばかりだ。
 劇中に、レイプさせた女についてのセリフが出てきた。「最初は痛がっていたけれど、途中から快楽の表情に変わった」そうだ。んなわけあるかい。キモいな。冒頭から、知らんおっさんのちんちんを見せられて下がっていたテンションはさらに下がった。なんか知らないけど丸出しだし。そのとき喋っていたセリフが快楽どうこうだし。それで誰がこれはアートなんだなーって思うんだろう。女子はふつうに嫌じゃない? もう観たくないなーと思ってしまう。
 そもそも。
 マリーは男娼である、らしいんだが。そんな表現まったくないし、ただ部屋に男を連れ込む女装癖の変態、にしか見えない。連れ込んでいる男が客なのかもしれないけど。仮にも息子として育てているっていうなら、その家に男連れ込むか?? それで愛があるとか言われても…ってかんじ。
 そもそも欣也は、自分をばかにたかつ子(マリーに女装を進めて女にした人)って女のひとをレイプさせたときに出来た子なんだけど。もうその時点でアレよね。女じゃないじゃん。もし心が女ならレイプさせたりするか? わたしどんな作品でも、お金を渡して女が女にレイプを仕掛けるってのがどうしても理解できない。そんな怖いこと良くできるなって思う。
 もうずっとキモいなーって思って観ていて、それが覆ることはなかった。
 欣也は一生可哀想だし。愛しているなら、自分が死んだあとの子供の未来を考えるでしょ。全部丸投げ。なにが愛なんだろうってほかのひとの感想を読んでいて思った。ただ女になりたかっただけじゃん。なりたいくせに「演じてる」みたいな言い訳してるのもしんどい。言い訳すな。
 わたしには、最後欣也が戻ってきたことも、ただ怖かっただけでしょっておもうし、知らないものはなんだって怖い。

 最後欣也を女として育てるからってヅラかぶせるんだけどね、それもハア?ってかんじで。自分がかつ子に女にされたことを繰り返している。

 まあ、でも観ていて、これを書いたひとは母親に束縛されていたんだろうなーって思った。寺山修司のことはよく知らないけれど、これはたぶん合っていると思う。このひとの世界は母親とふたりだったんだろう。マリーとかつ子、マリーと欣也みたいに。

 あーキモいな。